『すばらしい新世界』 オルダス・ハクスリー

 

注 ネタバレがあります.

 

 

  近ごろ,ディストピアものの人気を感じている.私は読書メーターというサイトを利用しているが,その共読ページ(自分の読んだ本を他の人が読んでレビューを上げると更新される)で表示されるのは,いつもきまって 東野圭吾伊坂幸太郎 か『1984年』である.

  そしてそのレビューには,「現実もディストピアになりつつあるのでは」という危機感めいた感想が書かれている.何を隠そう,私も書いた.以下は,自分の感想をそのまま引用したものだ.

とても面白く,一気に読んでしまった.恐ろしく徹底的な全体主義体制の物語.二重思考を使用することで体制への反抗はすべて無意味になる.現実では個人の欲望の大きさ・強さ故にここまで極端な体制は出現しにくいはずだ.しかし全体主義自体は今でも旺盛で,この物語のような国あるいは世界になってしまう可能性が常に存在している.全体主義の愚かさ,そしてその愚かさが成立してしまう個人・社会の脆さをこの物語から学ばなければならない.

 
  小説の感想を気軽にupするサイトにのせるには,ちょっと仰々しい文章だ.漢字も多いし,そして何より読みにくい.もう少しどうにかならなかったものか.しかし,当時の私はこれをノリノリで書いた.そして,その責任は『1984年』自体にもあると思う.


『1984年』は圧倒的な暴力の恐怖をリアリティたっぷりに書いている.読者はその恐怖に圧倒され,そしてその恐怖は現実へと向けられる.「まさか,こうはならないよな……?でもこの小説には説得力があるし,今の世界も政治も信用できたもんじゃない.そしてオブライエンのような奴はすでに力をつけているかも……」

  その恐怖に立ち向かうべく,仰々しい文章で警鐘を鳴らしたくなる.「私は反対だ!」と叫びたくなる.これは私に限ったことではないはずだ.後で読み返してちょっぴり恥ずかしくなる文章を書いてしまったのは仕方のないことなのだ.

  そして,ここからがようやくタイトルにある『すばらしい新世界』の話である.

  この小説はあらゆる面で『1984年』と対照的だ.まず,ディストピアものなのに人気がない.この小説は『1984年』と並び称されるディストピアもので,名前を聞いたことのない読書好きはいないはずだ.しかし,比較的人気がない.

  具体的に数字を上げてみよう.読書メーターの登録数は『すばらしい新世界』が合わせて訳4000なのに対し,『1984年』は12000だ.Amazonのレビューは『すばらしい新世界』が合わせて59個,『1984年』は200個だ.

  しかも,私の環境でAmazonで『すばらしい新世界』と検索すると,4つ目に表示されるのが『1984年』で,その肩には「ベストセラー」なる文句がのっかっている.

  いったいなぜだろうか.『1984年』は超人気作家・村上春樹の『1Q84』の元ネタだからだろうか.それとも,世の人々は「白地に黒文字」よりも「黒地に白文字」のほうが厨ニ心をくすぐられるのだろうか.そんなばかな.

  おそらく,その理由は,『すばらしい新世界』はリアリティがないという点にある.ここでもこの小説は『1984年』と対照的だ.

  私は「この小説はリアリティがなくてつまらない」とはいってない.私はリアリティのない小説が好きだ.現実感のないファンタジー・SF・ショートショートなどが好きだ.そしてこの小説自体も好きだ.

  しかし,ディストピアものという点では,リアリティがあるほうがインパクトがある.そして,現実でなにかあるたびに『1984年』既読者は「これではまるで1984だ!」と叫び,それを聴いたものは社会・政治を理解するために読まないといけない気分になってくる.そうして『1984年』既読の輪は広がっていくのではなかろうか.そして,これは『すばらしい新世界』には起こりえないことだ.

  また,『すばらしい新世界』には恐怖感がない.これも対照的で,注目したい点だ.そこで,以下にあらすじを引用する.

 

すべてを破壊した“九年戦争”の終結後、暴力を排除し、共生・個性・安定をスローガンとする清潔で文明的な世界が形成された。人間は受精卵の段階から選別され、5つの階級に分けられて徹底的に管理・区別されていた。あらゆる問題は消え、幸福が実現されたこの美しい世界で、孤独をかこっていた青年バーナードは、休暇で出かけた保護区で野人ジョンに出会う。すべてのディストピア小説の源流にして不朽の名作、新訳版![ハヤカワepi文庫版]


  ネタバレするが,この小説の内容はあらすじそのままである.つまり,この世界では本当に暴力が無くなっている.戦争も無い.この時点で,この世界は現代よりもすばらしいと感じてしまった.本当に"すばらしい新世界"なのだ.

  もちろん,ディストピアものの定石通り(そもそも定石の先駆けとなったのがこの小説なのだが),それを実現するために犠牲となったものがある.文化だ.文化が徹底的に破壊・隠匿されてしまっていて,一部の人以外はかつての科学や芸術を知ることすらない.

  しかし.繰り返すが,この世界には戦争が無いのである.そして,そういう世界は,反語でも何でもなく,現実の世界よりすばらしいのではないだろうか.

  これが恐怖感のなさの正体である.「こんな未来は嫌だ!」と叫んでしまうような作品ではないのだ.そして,世間ではおそらく叫んでしまうような作品のほうが人気なのだろう.

  しかし,私はこのモヤっと感が好きだ.モヤっと感を含んだまま,エンタメとしても面白く成り立たせているこの小説も好きだ.だから,他の人にもこの作品を読んでほしい.あまり時間もとらずに読めるので,つまらなくてもあまり損しない.そして,面白く読めたならそれはずっと心に残ってくれる経験となるはずだ.

 

 私の読んだハヤカワ版.以下のような他社の版もあり,そちらのほうが読書メーターの登録者が多かった.なぜ?

 

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

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すばらしい新世界 (講談社文庫)

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